“素数ゼミ”で想うこと

 先日、北米で、13年や17年といった素数年ごとに大発生する所謂「素数ゼミ」が、何故、素数の年にだけ集中するようになったかを、静岡大学の研究チーム(吉村仁研究室)が、コンピュータによるシミュレーションで再現に成功し、米科学アカデミーに発表したとの記事が日経新聞(2009.5.25夕刊)に掲載されていた。大発生とは、地中の幼生が一斉に羽化する現象で、地上では同種のセミの大群が乱舞することになり、想像するだけで空恐ろしい気がする。なぜこういうことが起こるかについて、これまで、他の周期のセミと羽化が重なりにくいことがその原因と考えられてきた。即ち、他の周期のセミと交配が起きて周期がずれると繁殖確率がそれだけ減って個体数の点で不利になると考えられ、素数年が最も周期の重なりが少なくなり有利だからである。しかし、この理由だけで単純に世代交代を繰り返す場合、シミュレーションでは周期による差はそれほど大きくでず、素数ゼミの発生原因を説明するには不十分であった。そこで静岡大学では、「種の固体数が一定の数を割り込むと、その種は一気に絶滅に向かう」というアリーの原理(Allee’s principle)をシミュレーションに導入したところ、17、13、19年周期の順で効果が現れ、その他の周期の種は絶滅したということである。進化のメカニズムを理論的に説明できた最初の事例ではないかというのである。

 ダーウインは進化という考え方に行きつき「種の起源」を著したが、進化とは一体なにか?。進化はどこへ向かって進むのか?。進化を支配する力は一体何なのか?。例えば、視覚等の五感も脳も持たない植物が、色や匂いに反応し昆虫と共生関係をとりえたのは何故なのか?・・・・・。

 進化の背景に神の存在を信じる人もいる。神とは言わないまでも自然界には何か大きな力が働いていると感じる人は多いと思う。セミという種が生まれたとき、最初は種々の周期ゼミがいたのかも知れない。しかし、このシミュレーションのように何代も繰り返すうちに、素数ゼミ以外の周期ゼミは、上記の理由で「淘汰」され地球上から姿を消した。これが、「進化」の正体なのであろうか。従って、「進化」とは、必ずしも人間が考えるような“発展的”に進むことではなく、順応した「退化」も進化のうちであろう。結果的に絶滅しなかったことが進化なのかもしれない…。

 世界(宇宙)は、混沌とした無秩序の中から「ゆらぎ」によって秩序が発生したとする学説もあるが、世界の始まりは現在よりももっと秩序だった状況から始まったとする仮説の方が有力である。なぜ、最初に秩序があったかはわからないが、宇宙の一箇所でビッグバンが起こったということは、最初に秩序から始まり、現在は秩序から無秩序への過程と考えられる。この「秩序」こそが、進化を起こさせる原動力に関係しているように思われる。これが「自然の摂理」であり所謂「神」なのではないかと思う。先ほどの素数ゼミも、宇宙が変化していく際の規則性を支配する数学や物理法則で説明できるのである。秩序から無秩序に向かう過程は非可逆的である。進化も多分後もどりはきかない。

 先に挙げた「アリーの原理」(又は「アリー効果」)では、固体が集合することによって適応度が増加することを示している。その逆に、人間による開発のために生息地が縮小し固体密度が一定以上低くなると、配偶相手との交配確率の減少や天敵に対する集団的な防衛機能低下(個体数の減少)が起きるため、アリー効果が消失し、その個体群(種)は、絶滅の危険性が高まると言われる。既に絶滅したものもあるが、絶滅危惧種は、まさにその渦中にある。人間は、自然の中の一員ではあるが、その抜群の知能のために自然界の秩序を乱し続けている。進化の秩序も乱し続けているように思う。エントロピーの増大を早め、無秩序に向かう速度を速めているように思う。どうしようもないジレンマに陥るが、人間のすばらしい英知によって、この難局を乗り切る道はないのだろうか。

(注記)本件に関して、素数ゼミそのものの著述については、「素数ゼミの秘密に迫る」(静岡大学/吉村仁著,サイエンス・アイ新書72)、「素数ゼミの謎」(吉村仁著,2005,文芸春秋単行本)等がある。

大阪技術振興協会誌No.391(2009.7)掲載