光と影の半世紀(わが国のアルミニウム工業と私)

    1.わが国のアルミニウム工業

 アルミニウムの研究は18世紀末にヨーロッパから始まったが、現在のボーキサイト鉱石から金属アルミニウムまで一連の製造方法が確立したのは、1888年のバイヤーによる湿式アルカリ法(バイヤー法)によるアルミナ(Al2O3)の製造法とホール・エルーによって1886年に、このアルミナを熔融塩電解し金属アルミニウムをつくる製錬法の発明による。

 我が国で初めてアルミ精錬に成功したのは1934年で、このころ(旧)住友アルミニウム製錬㈱等の製錬会社が設立された。その後、昭和電工、日本軽金属、住友化学工業、三菱化成、三井アルミニウム等の製錬会社が次々と設立され、わが国の軍需産業に貢献することとなる。戦後わが国の新地金生産量は、164万トン/年体制を確立(1978)し、新地金生産量は、119万トン/年(1977)を達成し世界総生産量の1割強に達した。

    2.私との係わり

 私は1970年に住友化学工業(株)(現在の住友化学(株))に入社した。資源関連学科の出身であったため、入社早々海外の資源探査(ボーキサイト鉱山の埋蔵量調査)に従事することになった。入社当時、我が国のアルミニウム新地金の生産量は、5年間で倍増といわれるような急激な成長ぶりであり、いわゆる”製錬5社”は飛躍的な発展を遂げつつあった。アルミニウムの鉱物資源はボーキサイト鉱であり、海外の資源確保に躍起になっていた。私は、海外資源確保のための要員として、オーストラリア、インドネシア、当時のBSIP、太平洋の島嶼を資源探査に奔走した。

 ガダルカナル島の日米激戦地の慰霊碑に、旧日本軍機の折れ曲がったプロペラが置かれ、そのプロペラに埋め込まれた銘鈑に、(旧)住友アルミニウム製錬㈱の名称がハッキリ読み取れたことを感慨深く思い出す。

    3.オイルショック

 第四次中東戦争に端を発した、2回の所謂オイルショック(1973,1979年)は、順調に発展してきたわが国のアルミ製錬業を完膚なきまでに打ちのめした。我が国全体の高度経済成長はここにきてストップしたが、アルミ業界に与えた打撃は、ことさら大きかった。

 アルミニウムは”電気の缶詰”といわれるくらい製錬時に電気を消費とする。アルミナからアルミニウムを製錬するための電気原単位は、アルミ新地金1トン当たり約14,000~15,000kwhである。政府は製錬業界に対し、国際競争力をつけるための設備整理、政府系金融機関の貸付金利の軽減、雇用安定のための給付金、塩化アルミ電解法への助成等々可能な限りの助成を行ったが期待したような効果は得られなかった。このとき、業績の立て直しに専念するため、(新)住友アルミニウム製錬㈱は住友化学工業㈱から分離独立したのである。

 業界が数兆円の投資をし、世界有数の生産規模を誇り、第1級の技術力を勝ち取った産業でありながら、わが国のアルミ精錬業は、僅か半世紀で崩壊したのである。このような短命でドラスティックな産業が他にあったであろうか。私は、隆盛時から消滅時まで、この産業と運命を共にしたものとして哀惜の念を禁じ得ない。

 1986年、(新)住友アルミニウム製錬㈱の最後の製錬工場が全面停止した。これにより、住友の国内でのアルミニウム製錬は、1936年の(旧)住友アルミニウム製錬㈱による生産開始以来、50年の幕を閉じた。はからずも、バイヤー法が発明されてからちょうど100年目の年であった。

    4.アルミ工業界の反省と今後の展望

 わが国のアルミ新地金精錬業という大規模にして成長性に富んだ産業が、僅か半世紀で崩壊したことは、石油急騰という市場経済下の流れのなかで致し方ないことだったかもしれない。オイルショック直前、わが国の高度に発達していた製錬技術は、その後、海外(インドネシア、ブラジル、ノルウェイ等)に技術輸出され、また開発輸入という形で受け継がれている。前段のアルミナ製造は、耐火物や無機薬品原料としての用途があるため、その後も国内に存続したが、大量のスラリー状廃棄物(赤泥)の有効利用法が確立できず、バイヤー工場も殆どが国内から姿を消した。

 わが国では歴史的に見て、アルミニウムは他の非鉄金属(銅、鉛、亜鉛等)と異なる発展を遂げてきた。即ち、製鉄や他の非鉄金属は、その経営が鉱山会社であったのに対して、アルミニウムは化学会社が事業を行ってきた。これは、アルミニウムの製造の前段のバイヤー法が湿式アルカリ溶解による化学に準拠したためと思われる。その為、鉱山会社なら鉱石探査の専門家(山師)を大勢抱えていたのに対し、化学会社には化学屋は多いが資源・エネルギー関係の専門家が比較的少なく、資源・エネルギー関係の調達は大手商社任せのことが多かった。私が採用された時点は、まだオイルショック前で、当時の経営層の先見の明には敬意を表するが、結果的にオイルショックを予見することはできなかった。また、当然ではあるが、物理屋より化学屋のほうが優勢であったことも廃棄物(赤泥)の有効利用方法の開発に関して、化学処理(溶解等)に頼りすぎ物理処理(分離等)の研究に力点がおかれなかったことも反省点である。

 アルミの用途は、軽量であり、再生アルミとしてのリサイクルのし易さ等々、その属性ゆえに優れた素材である。アルミ缶、自動車、電線、建材、水素備蓄合金、コンデンサー箔、包装材、高純度アルミニウム応用分野等々での需要は益々増加している。わが国のアルミニウム製錬技術の発展は終焉を迎えたが、今後とも、押出し、圧延、ダイカストなどの川下業界で、わが国の技術開発が更に進展することを祈念している。

[参考資料]
1.「アルミニウム製錬史の断片」(グループ39)
2.住友化学社史
3.金属Vol.68(1998)No.9,p785~793
4.愛媛県技術士会会報Vol.11(2003)p27~32,
 Vol.12(2004)p12~23,Vol.14(2006)p54~57,
 Vol.15(2007)p8~14
5.大阪技術振興協会誌No.326(2004)p1~3,
 No.327(2004)p2~3,No.352(2006)p5~6

(大阪技術振興協会会報No.461(2015.5)掲載)