原発が全くない国、ニュージーランド

書評「原発が全くない国、ニュージーランド」
浅井隆 著 第二海援隊(1500円+税)

 ”春の訪れを感じさせる暖かく穏やかな金曜日だった。膨らみ始めた桜の蕾に老人たちは目を細めていた。週末を控えたサラリーマンたちは大きく伸びをし、昼寝をしている子供たちは家事にいそしむ母親の隣で安心して寝息をたてていた。いつもと何も変わらない1日のはずだった。しかしこの直後、平和な日本を次々と襲う悲劇に世界は三度、震撼する。2011年3月11日午後2時46分。東北地方の三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の超巨大地震が、突如として日本を襲ったのだ。・・・・”

 第1章「福島原発の事故、放射能の危険性」は、まるで想定小説を彷彿させるような書きだしである。「三度」とは言うまでもなく、地震、津波そして原発事故のことである。

 ”“日本の国土は、世界の国土のわずか約0.25%であるにもかかわらず、世界の巨大地震の約2割がわが国で発生している。つまり、日本は他の国に比べて80倍巨大地震が起こりやすい国である。”と述べている。 にもかかわらず、”私たちは、「科学は核を安全に制御できる」という国と電力会社の主張を信じて、もしくは無関心のまま原発の恩恵に浴してきた。””福島第一原発の事故は、同じレベル7ではあるが、広島型原爆500発分といわれるチェルノブイリ級の惨事には至らないだろう。しかし、この事故は、もう一度起きれば「世界は終る」といわれるチェルノブイリ級の惨事が日本でも簡単に起きうることを証明した。”と述べている。

 第2章「海外の原発事情」では、各国の原子力政策と原子炉事情を国ごとに、アジア、アフリカ、中東、インド、中南米に至るまで紹介している。世界の原発は、約432基。わが国の原発は、アメリカ、フランスについで第三位、密集度でいえば世界一である。現在、国としての原子力削減・撤廃(反対派)は、ドイツ、ベルギー等。賛成派は、アメリカ、フランス、日本、中国、ロシア・・・等。賛成派の勢力が優勢であり、今回の福島の事故で、各国とも重大な関心をよせ自国の見直しを検討しているが、原発中止を決定するには至らない場合が多いといわれる。これには、環境問題、エネリギー不足、再生可能エネルギーの確保・コスト問題、電力の輸出入のスタンス、原子力産業、軍拡・防衛力準備・・・等々の観点から各国の利害関係が絡んでおり、特に開発途上国は賛成派の立場をとっている国が多い。

 第3章「原発を絶対につくらない国」以降は、一転して著者の心酔するニュージーランドの国情の紹介記事になり、ここまで読み進んできた読者にとっては少々物足りない感じがする。著者は、長年ニュージーランドに在住したその道の”ツウ”のようで止むを得ないところもあるが、”ニュージーランド賛歌”にちかい。確かに羨ましく思う。

 しかし、私(書評者)がこの書を読んで意外に感じたのは、”いまどきこんな国があったのか・・”ということである。ニュージーランドには、原発が1基も無いらし。原発容認論などは国民から全く聞こえてこない。国全体が「非核」一色になっている。昔から、わが国とニュージーランドは、緯度、国土の大きさ、恵まれた自然や四季、国民性、火山・地震等々、似た点が多く比較された。何故これ程までに、両極端の国になったのか。日本の明治維新の富国強兵、戦後の高度成長・列島改造等で何か間違いを犯したのであろうか。

 確かに、人口、周囲の他国の脅威等の点での違いは大きい。しかし、”その根底には、自然と生活を大事にするという哲学をニュージーランド人が持っているからだ”と著者は述べている。

 著者は、原発反対の立場に立っているが、一方では世界から原発は無くなる日は当面来ないと考えている。私もそのように思う。世の中から原発が消えないのであれば、私たちは今後も原発の危険性と向き合っていかなくてはならない。必要なのは、原発に賛成か反対かの極論はなく、どのようにすれば社会的(国際的)受容を受けられるかということにあると思う。そのために、最低限解決しておかなければならない問題がある。①原子炉・核反応のリスク対応制御技術、②核廃棄物の恒久的処理方法、の2点である。専門家筋は、いづれも「解決済」としているが、到底解決しているとは思えないからである。

(大阪技術振興協会会報No.416(2011.8)掲載)