総本山知恩院伊藤唯眞ご門跡のご講演を拝聴して

技術士(化学、総合技術監理部門)丹生光雄

 平成27年7月11日、当協会創立50周年記念式典・祝賀会が開催され、記念講演として、総本山知恩院御門跡伊藤唯眞大僧正猊下のご講演「伝承文化と現代」を拝聴した。

 (以下、太字部分が伊藤ご門跡のおことばに特に関連した部分です。)

 人類は「心」を持つようになってから、「死後どこへ行くのか」という命題を考えるようになった。手に触ってみることのできる現実世界に対して、「見えない心の世界(あの世)」を考える。これが宗教の原点と思う。人種・習慣・風俗等により多くの宗教が生まれたが、わが国では歴史的にインド・中国から伝来した仏教が日本独自の宗教心性と融合して日本独特の仏教となり、浄化されて浄土宗はじめ多くの宗派が誕生したものと思う。しかしその後、科学技術の進歩や近代合理主義によって物質的繁栄を築いたが、心の領域は軽視され社会の歪は拡大した。

 伊藤ご門跡は、ご講演の中で、浄土三部経(阿弥陀経、観無量寿経、無量寿経)を教義とされた法然上人の御教えをもとに、科学と宗教の思考に類似性があることを講話された。即ち、匠(たくみ)が創造する文化財(宝)を匠(技術者)と精神文化(心)の関係において説明された。「ものづくり」の原点は「心」であり「祈り」であると。「ものづくり」にも「心」が必要であり、神仏への信仰が必要であると。それが伝承文化であり、ひいては科学技術であると…。物を創る科学者には、「こうありたいと思う心(祈り)」が大切だと説かれた。また、見えないものを視通す「心」を持ってほしいと力説された。

 確かに、こうありたいと思う祈りの心が、遺伝子に影響を与え進化の原動力になっているのではないかと思う。私(筆者)の父は、真言宗高野山派の僧侶で、丹波の田舎寺の住職であったが、「仏に手を合わせて拝むのは、こうありたいと思う自分の理想の姿を拝むのだ」とよく言っていたのを思い出した。

 科学はこの世の自然界の現象や成立ちを客観的に捉える学問である。科学が発達した19世紀以降、科学の記載・論文には「心」が入る余地がなかった。科学を体得したものにとって、この世の怪奇現象などは科学的に説明がつくと高をくくっている。しかし、現在の科学では説明しきれない現象が「この世」に存在することを否定できない。

 「人間は、死後どうなるのか」この命題は永久に解けないのかもしれない。科学を身につけた我々技術者は、「あの世」というのは無いのではないかと何となく予想する。心は自分の脳が考える主観であり、肉体が崩壊する以上、心即ち意識も無くなるはずだと…。自分の生前の世界のように、自分にとっては実感のない「無意識」乃至「無」の世界…。どのような世界であろうか。

 20世紀に量子論や相対性理論の発達が、科学と宗教の間の溝を狭めたと言われる。量子論の不確定性原理などは観測至上主義的であり、空間の歪みやブラックホールなど心の世界を取り込まないと判らないような事象もある。機器を用いても人間の五感に捉えられないような対象があるのではないか。もし、あるとすれば科学と宗教は、非常に近い存在ではないのか。もしかして、宗教は科学の上を行っているのではないか? いずれにしても、現在の世界では判らないが、今後、量子コンピュータなどの発達によって科学と宗教の関係が解明される日が来ないとも限らない。

 本誌50周年特集号(2015年4月号)の「ひとこと:科学・技術と宗教」と題された伊藤ご門跡のおことばを併せて拝読すると一層よくわかる。この中でご門跡が触れておられる、岸根卓郎著「量子論から解き明かす『心の世界』と『あの世』」の中では、量子論で「月は人間(その心)が見たとき初めて存在する。人間(その心)が見ていない月は存在しない」という考え方を、法然上人は「月かげの いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞ住む」とし、これを思弁的に比喩したものであるとの記載されている。

 ご門跡は、この辺の事情を十分に承知され、法然上人の御教えをもとに科学と宗教の思考に類似の点が多いとして、判り易く「ものづくり」論で説明された。ご講演のなかで、ご門跡は若いころ滋賀県の工場でボール盤を扱っておられたようにお聞きしたが、このころのご経験により、匠の技に心が必要なことを悟られたのではないかと思う。

 科学は体系化された学問ではあるが、所詮、現実世界を説明するための方便にすぎない。科学万能主義に陥ることなく、奢らずに科学を行い、ものを創りだす者として「祈り」の心を忘れないようにしたい。別のご講話「共命(ぐみょう)の鳥」にあるように、先祖を敬い、他を思いやる心を大切にし、感謝の心を持った技術者として科学し生きたいと思う。

 伊藤ご門跡のご講話は、技術者としての我々がこの50年を振り返り、今後の50年を展望するにあたり、科学・技術とはどうあるべきかを考える根本を説いてくださったと思う。

関連記事・図書
1.「伝承文化と現代」総本山知恩院門跡 伊藤唯眞猊下(創立50周年記念冊子)
2.ひとこと「科学・技術と宗教」総本山知恩院門跡 伊藤唯眞猊下/本誌2015年記念特集号(4月号)
3.ことのは「法話『共命の鳥』を拝読して」伊藤唯眞門跡の講話/本誌2015年3月号
4.岸根卓郎著「量子論から解き明かす『心の世界』と『あの世』」PHP研究所

[協会誌10月号用原稿]