定年サラリーマン「職場の体験」

 私は、住友化学工業株式会社(現 住友化学株式会社)に30数年勤務し、平成11年末に退職しました。同社は、どちらかというと有機化学主体の総合化学メーカーですが、私の入社当時はアルミニウム製造部門があり、入社以来、終始この部門に関連する無機化学分野の調査、研究・技術開発、新製品開発等の業務を担当しました。

 私が入社した昭和45年当時、わが国のアルミニウム製造は急成長をとげ、5年間で生産倍増といわれていた時代でした。今から思うと、その後に起こった所謂オイルショック前の絶頂期にあったと思います。

 アルミニウムは、ボーキサイト鉱石からバイヤー法という方法でアルミナ(酸化アルミニウム)を精製し、これを電気分解してアルミニウムメタル(地金)にする一連の工程で製造されます。私は大学で地質学を専攻していたため、ボーキサイト鉱石資源確保のための調査要員として採用されたようです。アルミナ製造工場やアルミニウム精錬工場の新設計画が目白押しで、そのための原料資源の確保が急務だったのです。入社後すぐに、当時住友商事の技術顧問をしておられた東大名誉教授坂本峻雄先生(地質学)の”鞄持ち?”としてオーストラリア大陸のボーキサイト鉱床の調査を命じられました。実はこのときの経験が、その後の私の人生の大きな財産となり、考え方のよりどころになっています。

 その後、何度か海外へボーキサイト鉱床の探査に出かける機会がありましたが、2回にわたるオイルショックによる電力コストの高騰により、国内でのアルミニウム製造事業は縮小され、やがて海外にその生産拠点を移すことになりました。当然、私の仕事も地質屋から化学屋的な仕事へ転向を余儀なくされたのです。

 歴史的にみると、アルミニウム製造業は、製鉄やアルミ以外の非鉄金属(銅、鉛、亜鉛等)精錬をそれぞれ製鉄会社や非鉄鉱山等の専業会社が手がけたのに対して、どういうわけか化学会社が手がけていました。それは、アルミニウム製造工程の前半部分であるアルミナ製造プラント(バイヤープラント)が化学プラントであり、後半部分のアルミ精錬が電気化学を主体とした化学であることが大きな理由と思われます。従って、化学工業において発展したアルミニウム製造は、物理屋がほとんどおらず化学屋の手で行われました。鉱石資源についての関心は、製鉄メーカーの鉄鉱石や非鉄鉱山会社の非鉄金属鉱石に対する関心ほど高くはなかったのです。化学工業では、資源も一原料と考え、化学工業用原料は商社から買うものという意識が強かったのです。化学屋は、化学工業で用いる原材料を資源として捉えることに疎かったと思われます。

 当時、日本の化学工業は、すでにアウトソーシングを実行していました。やや言い過ぎかもしれませんが、資金は銀行任せ、資源は商社(当時、地質屋は総合商社に多かったのです。)任せ、そして技術は外国からの技術導入でした。現在のアウトソーシングとは、かなり発想や内容が違いますが、アウトソーシングのハシリには違いありません。(日本の化学工業はなぜ世界に遅れをとったのかについて、伊丹敬之氏は、その著書「なぜ世界に立ち遅れたのか-日本の化学産業」(NTT出版)のなかで、この辺の事情を解析しておられます。)その結果、資源産出国の意思が強く反映され、やがてIBAでのボーキサイト価格やOPECでの原油価格の高騰を招く遠因となりました。

 しかし、化学会社であるわが社において、当時の経営層が地質屋の採用を決断されたことは画期的なことでした。私は採用してもらった感謝の意味でも、その思想を大事にしたいと思いました。在籍中に、地球科学全般に理解をもつ鉱石資源の優れたスペッシャリストを育てたかったのです。しかし、残念ながらその計画は果たせませんでした。オイルショックでアルミ事業が国内から撤退したこともありますが、化学工業において原材料を資源として捕らえる思想は根付きませんでした。地質屋は後にも先にも私1人でした。

 もう一つ在籍中に果たせなかったことがあります。それは、ボーキサイトをバイヤー法で処理し、アルミナ分を精製する過程で発生する廃棄物(いわゆる赤泥)の処理法乃至は有効利用法の確立についてです。赤泥は、過去には海面を仕切って埋立てに使用し土地造成として利用されてきましたが、埋立て海面がなくなったため、現在は現実的に有効な利用方法が確立していません。当時、盛んに検討された化学処理方法では、コスト的に採算が取れないのです。また、化学処理により溶出した有害な成分の処理が面倒です。従って、私は物理処理(物理的なプロセッシング)による方法を提案しています。例えば物理手法によって富化された鉄分を製鉄用原料として利用する方法です。このような方法を確立しない限り該廃棄物の大幅な削減は不可能です。

 化学メーカーといえども化学屋ばかりがいると考え方が偏ります。物理屋とのバランスが大切と考えています。今日のように地球環境問題が重要視され、省資源・省エネが叫ばれる時代では、資源と環境に深い理解をもつバランス感覚に優れた技術者の存在が特に重要と思っています。

(テクノメートコープ機関誌「環」掲載)